戦国時代の武将として今も人気のある織田信長。
天下布武を目前にして家臣明智光秀に討たれた「本能寺の変」はあまりにも有名です。
6月2日(旧暦)の「信長公忌」の前に、現在の本能寺へ行ってきました。
大本山本能寺へ
毎年6月2日の「信長公忌」には、本能寺で御命日の法要が営まれています。
本能寺は京都市役所のすぐ近くですが、今まで行ったことがありませんでした。
当時はかなり大きく城塞のようで、場所も今とは少し違っていたそうです。
今はビルに囲まれてこじんまりとしていて、当時の面影はありません。
御池通から寺町を少し下がった所にあり、ひっそりとしていました。
ところで、本能寺の"能"の字がヒヒではなくて、"去"になっていることに気づかれたでしょうか?
本能寺は何度も火災にあったので、「ヒ=火」ではなく「火が去る」という願いが込められたということですよ。
中に入って行くと、ビルの裏側や非常階段がやたら目につきましたね(笑)
何となく寂しい気持ちに…。
私が訪れた日は、人が少なくてとても静かでした。
織田信長を偲ぶ
信長が炎に包まれて自害した本能寺は、当時は別の場所でした。
その後、豊臣秀吉が天下を取り京都のお寺を寺町の集めた時に移転してきたそうです。
↑↑↑↑信長のお墓です。
色々な思いが込みあげてきて胸が苦しくなりました。
たくさんの名前が記載されていました。
もし「本能寺の変」が起こらなかったら、日本史はどうなっていたのでしょう?
もし信長が生きていたら、天下を統一していたら…。
そう考えると面白いですね。
歴史はいろいろなことの積み重ねには違いないけど、突発的な出来事や偶然や運が複雑に作用していて興味深いです。
高校時代の日本史には苦労しましたが…(笑)
(今やほとんど忘れている?)
もう一度きちんと勉強してみたいですね。
ところで、旧暦の6月2日は今の暦では6月21日です。
ちょうど梅雨の時期だったんでしょうか?
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