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大正から昭和初期のアメリカで暮らした祖父母のアルバムを見て思ったこと

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第一次世界大戦第二次世界大戦の間の比較的穏やかな時代、私の祖父母はサンフランシスコで暮らしていました。 

その頃のサンフランシスコは、日本とは比べものにならないくらい近代的で豊かだったようです。

久しぶりに祖父母のアルバムを開いてみたら、いろいろな想いが溢れて胸がいっぱいになりました。 

 

アメリカへの留学

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祖父は高校を卒業すると十代でアメリカに留学し、そのままサンフランシスコの貿易会社に就職しました。

アメリカに行ってから10年後、結婚のため一度日本に戻り妻である私の祖母を連れて再びアメリカへ。

そんな時代に、まだ十代の長男を異国に行かせる決断をした両親(私の曽祖父母)には驚きと同時に尊敬の気持ちでいっぱいになります。

新しい世界を見たい、最先端の国で学びたい、そこでどこまでやれるか自分を試してみたい。

若かりし頃の祖父の夢を思うと、胸が熱くなります。 

 

二人だけの結婚生活

当時のサンフランシスコはいろいろな国からの移民が多かったそうですが、祖父の会社や住んでいたアパートには日本人は誰もいなかったそうです。

本当に二人だけの結婚生活で、そのために余計に絆が深まったとか。

とにかく今風に言えば"ラブラブ"といったところでしょうか(笑)

生涯、羨ましいほど本当に仲のいい夫婦だったそうです。

 

祖父のサポートがあったとはいえ、祖母にとっては言葉もあまり通じない国で出産や育児をするのは さぞかし大変だったことでしょう。

その当時の日本人に共通する部分だと思いますが、どんな事にも我慢して本当によく頑張ったと思いますね。

いろいろな意味で頭が下がります。

おかげで子供にも恵まれ幸せな結婚生活を送っていたようです。

 

残念ながら私の母はアメリカ生まれではありません。

帰国してから、しかも祖母が40歳を過ぎてからの子供です。

そのため私は祖母のことは少し覚えていますが、祖父のことは全く知りません。

 

豊かで文化的だった当時のアメリカ社会 

祖母や母の兄弟から聞いたところによると、当時のサンフランシスコは日本とは比べ物にならないくらい豊かな国だったようです。

まず"会社が日曜日は休みで土曜日もお昼まででだった"ということに驚きました。

アパートから会社までは車で通勤していたようで、クラシックな車の前で撮った祖父のスーツ姿の写真が残っていました。

 

子供たちは会社から帰ってくる祖父の車の音がすると、大急ぎでスリッパを並べて玄関で待っていたとか。

時々お土産を買ってきてくれたそうで、中でも三色のアイスクリームが大好きだったと叔母が話してくれました。

バニラとストロベリー、チョコレートのアイス!

とても美味しそうです(笑)

 

日曜日には教会のミサに出かけ、公園でくつろぎ、時々野球の試合を見に行く。

祖母はチャイナタウンで食事をするのが楽しみだったそうです。

思わず「いつの時代の話?」と聞きたくなるくらい、今の時代の休日と変わらないことに驚きます。

 

私がもっと驚いたのは、当時の食品店。

なんと、今と同じようにカゴに買いたいものを入れてレジで精算するスタイルだったそうです。

祖母の話では欲しいものが何でも好きなだけ買えたそうですから、すでに普通に豊かな社会だったということでしょうか?

楽しそうな生活は、祖父母のアルバムを見れば伝わってきます。

 

そして、写真に映った当時のサンフランシスコの街の様子にも驚きました。

きれいに整備された道路、街灯、カフェやレストラン、近代的なビル…。

その建物の中には今も現役で残っているものがたくさんあるそうです。

今のサンフランシスコの写真と比べてみたら、確かに見つけることができました。 

 

戦争を越えて

戦争が始まった時、祖父は「(日本は)絶対に勝てるわけがない」と言っていたそうです。

実際に自分の目で見て、アメリカという国の大きさを知っていたからでしょう。

そのままアメリカにとどまっていたら収容所生活を強いられたわけですから、帰ってきて正解だったのかも知れません…。

 

帰国してからの祖父母一家の生活は、それまでとは一変しました。

特に子供たちは文化の違いで苦労したそうです。

畳の生活や衣服、食べ物など何もかもが変わってしまって辛かったと叔母に聞きました。

特に戦争中は、いろいろと大変だったそうです。 

 

でも新しい家族も増えました。私の母もその一人です(笑)

祖父母は相変わらず仲が良く、ユーモアに溢れた楽しい家族だったそうです。

「夫婦がお互いを思いやり尊重し合える対等な関係であることの大切さ」を、私は祖父母から学びました。

 

ただ、もし戦争がなかったら、そのままアメリカで暮らしていたはず。

私の人生も、もしかしたら全く違うものになっていたかもしれませんね。

いつの日か祖父母の暮らしたサンフランシスコへ行ってみたいと強く思います。 

 

 

 

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