80年代に流行ったファッションといえば何を思い出すでしょうか?
一般的にはDCブランドにプレッピー、ニュートラ、ハマトラなど華やかでしたね。
ファッションに関心が集まった80年代
80年代のファッションで絶対に外せないのがDCブランド。
国内のデザイナーやアパレルによるブランドです。
代表的なものにピンクハウス、コム・デ・ギャルソン、ヨウジ・ヤマモト、KENZOなどがありました。
ファッションビルがあちこちにできて、デパートもこれらのブランドショップが主流でしたよね。
DCブランドのショップの販売員さんは“ハウスマヌカン”っていう名前で呼ばれていました。
一体どこの言葉?って感じですが当時は流行の最先端だったのです。
今ではすっかり“死語”ですね(笑)
80年代は経済的に成熟していた時代
私が大学生だった80年代の後半期はバブルへと向かう時期で、ファッションにお金をかける人が多くいた時代だと思います。
またCanCanやJJといったファッション誌がそのお手本になっていました。
『オシャレな大学生特集』のような企画も多く、京都の大学ではノートルダム女子大や同志社女子大が、よく取りあげられていました。
特にノートルダム女子大のある北山通りは、オシャレなカフェやブランドショップが多くてとても華やかでした。
京都で一番オシャレなスポットとして認知されていましたね。
観光客もすごく多くて、いつも賑わっていたのを覚えています。
河原町通(御池通から四条通)や四条通(烏丸通から東大路通)辺りも賑やかでした。
土日になると、今とは比べられないくらい人がいっぱいで歩けないほどでしたね。
ファッションに気を使っているオシャレ人がたくさんいました。
大学生のファッション
その時代の大学生のファッションがどうだったかといえば、ファッションに関心の集まる世の中のブームとは別の世界という感じでしたね(笑)
高校時代の友達が京大、同志社、立命、龍谷、京女など京都の他の大学に来ていたので時々遊びに行きましたが、どこも似たような感じでした。
もちろんファッション誌にとりあげられる一部の女子大や、一部のオシャレな人たちを除いてですが…。
私の大学では、入学式こそみんなスーツできちんとしていましたが、次の日からはほとんどの学生が“フツーの普段着”でした。
どちらかといえばオシャレとは真逆で、家にいる時のまんまみたいな…。
上の学年の先輩たちもほとんど同じような感じでしたね。
特に男子は、春はトレーナー(今でいうスウェット)とジーンズ、夏はTシャツかポロシャツとジーンズ、秋はチェックや無地のシャツの上にカーディガンかトレーナー(プロデューサー巻きあり)とジーンズ、冬はセーターか秋の格好の上にスタジャンか短めのコートをはおってくるというのが定番だったように思います。
女子はそこそこ気を使ってはいたようです。
でも大学に女子が少ないということもあり、全体的にみて地味でした。
すっぴんの人も少なからずいたように思います。
もちろんオシャレな人もいるにはいました。
でもそういう学生は普段はバイトやしたいことをしていて、大学にはあまり来ていなかったのです。
テスト期間になると見かける率が上がりましたね(笑)
音楽やマスコミの影響
地味でオシャレとはあまり関係のない大学生も、次第に経済の波に飲み込まれていきました。
80年代アイドルのぶりっ子ファッション、YMOのテクノファッション、安全地帯などバンドのモノトーン系や大きめの肩パッドのジャケットなど、流行を取り入れる学生はだんだん増えていったようです。
本物のブランドの服は買えないまでもそれを模倣したものを買う人がほとんどだったと思いますが、本物を手に入れるために必死でバイトしている人もいましたね。
また、服はオシャレとは無縁でも、髪型だけは流行のスタイルっぽいという学生が案外多かったように思います。
その頃には松田聖子さんはもうショートヘアでしたが、その時代のアイドルは聖子ちゃんカットと似たような髪型をしていました。
そのせいかレイヤーを入れて、フワフワに後ろに流すような髪型の女子が多かったようです。
男子の間ではテクノカットといわれる、もみあげを短くまっすぐに切りそろえてバックを刈り上げるような髪型が流行っていました。
でも大学に限らず、流行っているというだけで全然似合っていない服装や髪型の人がけっこういましたよね。
「そんなに頑張らなくても」っていうような、ちょっと笑っちゃうような…。
そんな感じでしょうか!
街に出るとDCブランドの影響からか、奇抜なファッションの人やモード系の服装やメイクの人を見かけることもありました。
平野ノラみたいな感じの人もいましたね(笑)
今ではテレビかハロウィンくらいでしか目にしなくなりましたよね?
私の大学時代のファッション!
私も大学時代は、毎日何を着ていったらいいのか悩んでばかりでした。
CanCanやJJには真似してみたいと思う服装がたくさん載っていましたが、どれも高くて買い揃えるのは難しかったですね。
周りもみんなそんな感じでした。
BIGIやメルローズに憧れてショップを覗いてみるものの、試着するのもためらってしまう…買えないのがわかっているから。
それとショップのお姉さん、そう“ハウスマヌカン”が苦手でした!
でもあちこちのお店を見て回るだけでも十分楽しかったですね。
結局、どうしても欲しかったBIGIのジャケットやワンピースは、親にねだって買ってもらいました(笑)
もちろんアルバイトもしていたので、そこそこ自分なりのオシャレを楽しんではいました。
あくまで自分なりのです(笑)
京都の繁華街の変化
今も京都に住んでいますが、河原町に行くことは少なくなりました。
京都に来たばかりの頃、初めて四条河原町の阪急百貨店を見た時はあまりの綺麗さに驚き、また本当にうれしかったことが思い出されます。
今は別のお店になっていますが、私が大学生の頃はよく待ち合わせ場所に使われていていつも人でいっぱいでした。
外から店内のシャンデリアがガラス越しに見えて、すごくキラキラしていてオシャレでステキでしたね。
バブルの頃にはデパートもファッションビルも、特にバーゲンの時など開店待ちの人で溢れかえっていたものです。
河原町通もチェーン店が増え、当時とは様変わりしました。
BALもリニューアルしましたが、あの頃のような賑わいがまた戻ってくるといいですね。
もちろんバブルは困りますが…(笑)
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