クローゼットの整理をしていたら懐かしいものがたくさん出てきました。
今まであまり振り返ってこなかった80年代について書いてみようと思います。
忘れてしまう前に…。
コロナ自粛中の発見
きっかけはコロナの流行で時間に余裕ができたこと。
今まで見て見ぬふりをしてきたクローゼット奥の段ボール箱たちの整理を開始!
始めてみれば「よくぞこんなものを」と思うような懐かしいものからくだらないものまでどんどん出てくる出て来る(笑)
特に大学時代のものが多かったですね。
80年年代の後半、私は京都の大学の女子大生でした。
しまってあった色々なものを見ていると、様々なことが思い出されてきました。
あの時代の大学は思い返してみるとホントに面白いです。
授業もバイトもコンパも遊びも。
当時の写真を見ると、そこに写っている彼ら彼女らが今どうなっているか知っているだけに笑えてきます。
まるでタイムカプセル!
本当に懐かしかったので思い出せる限り書いてみたいと思います。
大学受験で地方から京都へ
私は海辺の地方都市で幼少期を過ごしました。
高度成長時代で子供でもだんだん豊かになっていくのがが実感できた時代です。
青春時代はほぼバブルとその前後。落差は激しかったけど(笑)
なので京都に住むようになったのは、大学時代からです。
本当は東京の大学に行きたかったのですが、「京都は学生の街だから安心!」とすすめられ受験しました。
受験のため初めて京都に一人で泊まることになり、両親がすごく心配したのを覚えています。
田舎の女子高生には、京都は十分都会でしたね(笑)
確か大学生協の「受験生の宿」に申し込みました。
一人部屋は心配だからと4人の相部屋!
同じ大学の受験生ということもあって同じ部屋の3人とすぐに打ち解け、喫茶店に行ったり、受験の時のお昼ご飯用のパンを買いに行ったりしました。
そのパン屋さんは、「志津屋」です。京都では誰でも知っている美味しいパン屋さん。
その時はたまたま近かっただけで偶然です(笑)
晩御飯は「鶏の水炊き鍋」でした。
仲居さんが目の前で作ってくれたので驚きました。
とてもおいしくて4人でいろいろな話をしながら食べました。懐かしいです。
そんな感じで受験前夜は仲良く枕を並べて眠りました。
4人部屋のおかげで緊張感ゼロ(笑)
リラックスできてよかったのかも。
翌朝、朝食をとったあと同部屋の人たちと再会を誓って別れました。
さすがに連絡先を交換する勇気はなかったようです。
80年代の受験風景
御池通りに何台も貸し切りバスが停まっていて、近くの旅館やホテルに宿泊した学生が受験会場の大学まで一緒に行きました。
80年代は子供の数が多かったので大学受験はものすごい倍率でした。
また今ほど地方入試をあちこちでしていなかったので、会場の大学は受験生で溢れかえっていました。男子の方が圧倒的に多かったですね。
大学は「○○館」とか「○号館」といった聞きなれない建物ばかりで、最初に受験した
ときは本当にあせりました。
どの建物も同じようで迷いそうでしたね(笑)
でも何回も受験するうちにだんだん慣れていきました。
みんな同じよういくつも受験していましたね。
地方から京都に受験に来た人は、二月は連泊してたようです。
親の負担も大変なものだったと思います。
経済的にもそうですが、ずいぶん心配だったことでしょう。
地方から大学に入るためには、まず受験そのものが一大イベントだったのです。
それを乗り越えたら(合格したら)晴れて大学生です!
よろしければお願いします!