3月11日になると、必ずあの津波の光景を思い出します。
くり返しテレビで流された、あの衝撃的な映像。
津波の光景を見たのは初めてでした。多くの方がそうであったように…。
6年前のあの日、私はたまたま家に居てテレビをつけました。
津波がだんだん街の中に到達していく様子、多くの人たちが逃げていく様子…。
我が目を疑いました。
心臓が止まりそうでした。
これが現実に起こっているのだという、不安と驚きとショック、そして居ても立っても居られない焦燥感。
遠く離れた京都にいて、何もできないもどかしさと共に、あの阪神淡路大震災のことがよみがえってきました。
東北に住んでいる知人の安否が気がかりでした。
それから、関東に出張していた夫のことも気になり始めました。
案の定、東京も大変なことになっていました。
夫と連絡が取れず、ただひたすら連絡を待ちながら、テレビの映像を見つめていました。
夫は無事でしたが、帰ってくるまで心配でしたね。
加えて原発の事故は、言葉で言い表せない位、本当にショックでした。
これから何が起こるのか、日本は大丈夫なのかという不安で息苦しくなったのを覚えています。
そして安全神話がウソだったことへの憤り。
学生時代に習ったことは何だったのでしょう?
多くの方が亡くなり、いまだに行方不明の方も沢山いらっしゃいます。
また、住まいをなくされ仮設住宅や避難先で暮らされている方もまだまだ多くいらっしゃいます。
一人一人の人生が、あの地震で変わってしまったことを思わずにはいられません。
一日も早く不自由のない生活に戻れますように。
そして私たちは、絶対に忘れないことです。
積極的に何かすることはできなくても、忘れないでいることは大切なことだと思います。
スマスマもなくなってしまい、テレビで支援を呼びかける番組もほとんどありません。
それを思うと残念ですが…。
マスコミや政府のいうことを鵜吞みにせず、自分で考え行動していくことが大事だと改めて思います。
また普段から、もしもの時に備えることも。
当たり前のことばかりですが…。
あの日から6年目の3月11日に、そんなことを考えました。