ゆるっと京都 de スローライフ

日々の気づきを発信している雑記ブログ!

宝塚は夢の世界であってほしい!

 今日は宙組の次期トップコンビの発表があった。やっとという感じ。少し安堵した。

芹香斗亜さん、春乃さくらさん、おめでとうございます㊗️

 パワハラやいじめなどすったもんだがあったし、発表が遅れたのは仕方がない。

でも劇団は事実を認めないというコメントを出しただけで、その後ファンが納得できる説明は何もしていない。

本当に事実じゃないなら何故訴訟を起こさないのか?このままうやむやにするつもり?

 やっぱり劇団は組織の体質がガチガチなんだろうなぁ!それにしても母体は阪急なんだし、電車やホテル、デパートなんてハラスメント的なことに1番敏感なはず☝️

なのに演劇となるとこんな古い体質のままなのか!組織改革を急がないと社会から取り残されてしまうよ。

 まずはシャーロック・ホームズに調査してもらって、ボンド様にバッサリやってもらったらどうだろう😅

 宝塚は日常を一時忘れられるような夢の世界であってほしい。

新しいトップコンビに期待しよう!

 

 

芸能人の整形&テコ入れが凄すぎる件

 最近というか少し前から芸能人の整形とテコ入れが急激に増えているように思う。

韓国の影響?韓国は以前から芸能人だけじゃなく一般人でも整形が盛んだけど。

 

 ある日テレビをつけると、

「アレレ?」

「何か違うぞ」

「同じ人なのに何か違和感!」

みたいなことが多い。

これってアップデート?

アイドルの整形は昔から結構あったけど、SNSがなかったから週刊誌とかでネタにならない限りあまり話題にならなかったように思う。

アイドルの年齢も若かったし「成長」ということでごまかしたり…。

 

 それが今では某アイドルグループなんて整形&テコ入れ当たり前!

それどころか「整形して頑張ってる」というお墨付きまでもらっているようだ。

日本も変わったのかな⁉️

もしかして進化したのか⁉️

ʅ(◞‿◟)ʃ

 ただここだけの話、私は「俳優の整形」はいかがなものかと思うんだけど…。

テレビも昔と違ってハイビジョンや4K8Kになった分、テコ入れはある程度仕方ないと思う。

でも特に女優。

年を取っていくのは当たり前なのに、無駄に整形&テコ入れを重ねて若返っていくのは何だかなぁ😩

年相応の役は似合わないし、実年齢より若い役になると相手役の俳優との並びが…。しかも若手が全然出る幕がないやん(笑)

 最近、鼻にプロテーゼ入れてたり目頭切開してたり…を気にする悪い癖がついてしまった‼️

だってアップになると鼻になんか入ってるのがわかってしまったり、目がやたら長かったり白目部分が多かったりするから気になって仕方ない。ケアも大変なんだろうけどね。

大きなお世話なんだけど🙂

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

大河ドラマに思うこと

 昨日『大河ドラマが生まれた日』というNHKのドラマを見た。後に大河ドラマになる大型時代劇を初めて放送するまでを描いていて見応えがあった。

キャストも生田斗真阿部サダヲ七之助など上手くて魅力的だったし、キーマンの佐田啓ニの息子の中井貴一が出てたのも面白かった。

生田斗真はちょっと顔が濃くて外国人みたいだったけど😂

 本当は『いだてん』みたいと思って全然見る気がしてなかったのに、何となく見ているうちにどんどん引き込まれて最後まで見てしまった。

 それに引き換え、今日の『どうする家康』はどうだ?こちらは本物の大河ドラマだよね?

かつてスタッフがあんなに苦労して作り上げた大河ドラマがこれか?とちょっと情けないような気持ちになった。

キャストの演技や所作も何だかなぁ😩

だいたい存在感が薄いし…。それと顔芸はいらないと思うんだけど…。

失礼ながら“道明寺”と“みねこ”にしかみえなくて笑える。

CGでゲームみたいだから違和感があるのかと思ってたけど違うよね☝️

昨日みたいなの見てしまうとなぁ…。

どっちが大河ドラマでしょう⁉️って感じですね。

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

立春の嵐山はエグいくらい人が多かった‼️

 昨日まいた豆が家中に落ちてて、スリッパで踏んだら香ばしい香りが!

なんて呑気なことを言っている場合ではない。

大急ぎで拾い集めて掃除をしないと大変なことになる!

そういう訳で毎年節分の次の日は家が綺麗になる(笑)

 今日の京都はとてもいい天気で暖かくてホント“立春

年によっては雪やみぞれでメチャクチャ寒いのにな。

そういえば先月の雪の時はものすごく積もって、門が開かなくてシャッターも上げられなくて大変だった。

 天気のいい土曜日ということで、嵐山は人がものすごく多くてエグかった。

外国人が多い☝️アジア系はどこからの人かよくわからないけど韓国系が多い感じ。

お正月の時もそうだったけど、以前の賑わいが戻ってきたみたい。

 私が学生の頃は2月といえば閑散期だった。

閉まってるお店もあったし、人も少なくてシャッター降りるのも早かったような!

いつの頃からか冬も観光客が多くなって、インバウンドで異常に増えて、コロナで減って…。

また以前に戻りつつあるのかな。

まあ、インバウンドの頃みたいにならないことを祈るばかりだ🙂

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

独り言

2023年になってしまった!

忙しかったとか、いろいろあったからとか言い訳はしない。

書く気がしなかったわけじゃないし…。

暇がなかったわけじゃないし…。

で、気がついた。

「忘備録」というか「雑記」というか…。

ただの独り言なら続けて書けそうながする。

レイアウトもテキトーで写真もなし!

うん、そうしよう!

少し気が楽になったがする(笑)  

 

 今日は節分👹

京都のあちらこちらで節分会の豆まきをしている。有名人こそ来ないが、露天もたくさん出て結構賑わっている。

 今年も壬生寺の起き上がり達磨を頂いた。掌に乗る小さな赤いだるまさんだ。とっても可愛くて早速飾ってみた。

指で倒してみる…。

すぐに起き上がる!

だから開運なんだと納得(笑)

そういう発想が素敵かも。

 

今年はいい年でありますように‼️

 

こんな調子で書いていけたらいいな。

 

よろしければお願いします!

 

 

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

宝塚雪組トップスター望海風斗に捧ぐ!

ついに宝塚雪組トップスター「望海風斗」が今日卒業します。

“劇団屈指”と評される歌唱力に加えダンス、演技においても素晴らしいトップスターさん。

コロナ禍で最後の公演を生で観ることは叶いませんでしたが、彼女の宝塚の舞台を観ることができたことに感謝しかありません。

今日の公演はライブ配信で見とどけます。

 

f:id:yuluttoKyoto:20210307144458p:plain

宝塚歌劇団ホームページより

初めてだいもんを知った日

だいもんのことを初めて知ったのは2012年です。まだ花組の頃ですね。

たまたまつけたテレビ、多分NHKのローカル番組だと思います。

演歌歌手の山内惠介さんと一緒にゲスト出演されていました。

昼間のそんなローカル番組に全く似つかわしくない(←ゴメンナサイ)抜群のビジュアルで目が釘付けになったのを覚えています。

 

顔立ちの美しさと上品な佇まい、落ち着いた物腰、そして綺麗な声。

「この人絶対トップになる!」と思いました。

手帳に書き留めたくらいなので秒殺だったんでしょうね(笑)

そこから雪組に組替えになりついにトップスターになられました。

本当にうれしかったです。

 

それにしてもそんな番組に路線のジェンヌさんが出ていたんですね!

 

初めてだいもんの舞台を観た日

私が初めて宝塚大劇場に観に行ったのは、雪組の「私立探偵ケイレブハント」です。

子供の頃から行ってみたいと思いながらなかなか行けずにいた大劇場に行けたことで、何かハードルを一つ越えたというか…(笑)

とにかく嬉しくて大興奮でしたね。

 

その公演にだいもんは出演されていました。

初めてということもあり歌唱力に圧倒され、指先まで神経の行き届いたダンスに魅了されました。

 

実際にはやっぱりトップスターちぎさんの煌びやかな容姿にやられたんですけどね(笑)

そのちぎさんが退団され次のトップスターになっただいもん。

大躍進に心が躍りました。

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

だいもんに捧ぐ

私は小学生の頃から宝塚に興味を持っていました。

当時はテレビで公演もやってたし番組もあったので、目にする機会が多かったんです。

なかなか敷居が高くまた周りに宝塚ファンがいなかったことから、大劇場に観に行く機会はありませんでしたが 華やかな世界観にあこがれていました。

生で観ていなかったからかも知れませんが、特に歌が上手なスターさんが好きでしたね。

安奈淳、峰さをり、涼風真世杜けあき一路真輝久世星佳…。

私が好きだったのは歌上手な方ばかりです。

 

だいもんの歌は、それまで劇場に行ったことがなかった私が何度も何度も劇場に通いたくなる程の衝撃でした。

声が天井まで昇っていき劇場の隅々まで降り注ぐような心地よさ。

時に優しく時に激しくそしてドラスティックに心を揺さぶられる、宝塚のレベルを超える歌唱。

天使の声を持つ相手役のきいちゃんも素晴らしく、すごい学年差がある歌に定評のあるだいもんについていくだけでも大変だったはず。

それをこれほどのレベルにまで高めるには相当な努力があったと思います。

本当にお二人の声は相性がよく、トップコンビとして最高のレベルでした。

 

それに加え細部にまでこだわったダンス。

心情を繊細に表現した緻密で計算された演技力。

どこをとっても最高でした。

 

宝塚に入団してくれて本当にありがとう。

同じ時代にだいもんの舞台を観れて幸せでした。

 

まじめで涙もろくて優しくお茶目で可愛いだいもん。

舞台人としての姿勢を心から尊敬しています。

お二人がこれから歩む人生に幸あれと願わずにいられません。

 

 

運動不足解消のためネットでフィットネスバイクを買いました!

コロナ禍の運動不足を解消するためにどうしたらいいかいろいろ悩みました。

ジョギング、縄跳び、おうちヨガ…。

その結果ついにフィットネスバイクを買っちゃいました。

 

f:id:yuluttoKyoto:20210313143857j:plain

コロナ禍で運動不足に

コロナ禍で外出自粛が続きすっかり運動不足に。

その結果、体重は私史上最悪です(泣)

腰まわりのぜい肉は増える一方…。

 

それよりもっと深刻なのは筋力不足かも知れません。

しゃがみこんで立ち上がろうとする時、前に比べて一呼吸分くらい時間がかかるようになりました。

これはヤバい!何とかしないと!

そんなことから、どうしたら運動不足を解消できるのか真剣に考えてみました。

 

運動不足解消の選択肢

まず最初に頭に浮かんだのはジョギングです。

京都の嵐山近くに住んでいるので、走る場所には困りません。

ただ大問題が…。

私、花粉症なんです!それもかなりきついやつ(泣)

秒で却下です。

ということでウォーキングや縄跳びも却下!

 

次に候補に挙がったのは、動画を見ながらおうちヨガとかおうちエアロビ、百歩譲っておうち体操(笑)

スポーツクラブに通うのと違ってどんな格好でもいいし簡単にできそうです。

ところがそんなに簡単じゃなかった!

家族に見られたくないという変なプライドもあり、なかなか出来そうで出来ない…。

しかも私のずぼらな性格のためか続かない…。

言い訳をするようですが「さあやるぞっ!」と気合を入れないと始められないというか…何かおっくうになるというか…。

はい、言い訳です(笑)

 

残された選択肢は、多少の出費を覚悟でルームランナーフィットネスバイクを買うことでした。

 

フィットネスバイク購入へ

さっそくネットで調べてみました。

狭い我が家にはルームランナーは大きすぎて置き場所が取れそうにありません。

 

フィットネスバイクなら折りたたみ式のものもあって、ルームランナーに比べるとお手軽な感じ。

その上お値段もピンキリです。

 

よしフィットネスバイクにしよう!即決です。

 

調べてみるといろいろな種類があって、最初はどんなのがいいのかさっぱりわかりませんでしたが、我が家の置き場所や使用目的を考えると

折りたたみ式

レーニング用ではないので初心者向けのもの

2万円くらいの予算でネットで買えるもの

カラーは黒っぽいもの

音が静かなもの

 

購入のための条件が決まり後は安全面や故障した時のアフターサービスを考えて、アルインコというメーカーのものにしようと決めました。

 

ネットで探してみると条件にあうものがいくつかあり、その中から2つに絞ることができました。

 

 

 

 どちらにしようか迷いましたが、結局背もたれのある方に決めました。(AFB4520K)

 

感想

ネットで注文して2日後に届きました。

組み立て式なので大きな段ボール箱に入っていて、それがとても重かったですね。

箱に持つところがないからかも。

 

組み立てには一時間もかかりませんでした。

でも安全を考えてきつく締めるので結構疲れます。

私は敷マットも合わせて購入したので、その上で組み立てました。

大きさは新聞紙を広げたくらいです。ハンドルが立っている分、自転車より高さがある感じですね。

 

使ってみて感じたのは音が全然しないこと!

エアコンより静かですよ。

 

最初は一番負荷がかからないレベルにしてこいでみたので「こんなんで運動になるのかな?」みたいな感じだったんですが、終わってみたら足腰にかなりきてて少し足がガクガクしましたね(笑)

 

買ってから2週間くらいになりますが、家族で使っています。

飽きっぽくてずぼらな私でも続けられそうです。

どれくらい効果が出るか楽しみですね!



よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

80年代に人気だった音楽♬

80年代に学生だった私たちの間で人気のあった音楽はといえば、真っ先に何が浮かぶでしょうか?

80年代には、演歌や歌謡曲、フォーク、ニューミュージック、洋楽など、多種多様な音楽が溢れていました。  

70年代から受け継いだ音楽の花が、次々と咲き始めたのが80年代だったのではないかと思います。

 

f:id:yuluttoKyoto:20200730152813p:plain

80年代はアイドルの全盛期

その中で忘れてはならないのが、80年代アイドルの存在です。

1980年に、キャンディーズに続いて、山口百恵、ピンクレディといった70年代を代表するアイドルたちが次々と引退や解散をし、アイドルの大転換期が訪れました。

そして入れ替わるように台頭したのが松田聖子です。

彼女は美声を生かした歌唱力と可愛らしさで、瞬く間にトップアイドルに名乗り出ました。

街にも芸能界にも「聖子ちゃんカット」の真似をした女の子がたくさんいましたよね。(笑)

「ぶりっ子」という言葉も流行しました。

彼女の髪型やメイクはものすごい影響力でしたね。

 

そして河合奈保子柏原芳恵松本伊代が続いてデビュー。

さらに花の82年組と呼ばれた中森明菜小泉今日子堀ちえみ早見優石川秀美三田寛子などがデビューしました。

そうそうたる面々ですよね。

今もほとんどみんな残っています。

他には角川映画で人気だった薬師丸ひろ子原田知世

ドラマから人気になった中山美穂南野陽子浅香唯

そしてその他にも荻野目洋子、岡田有希子斉藤由貴菊池桃子本田美奈子おニャン子クラブ西村知美酒井法子森高千里Wink西田ひかる宮沢りえなどがいました。

 

アイドルの人気推移

やっぱり、聖子か明菜か?っていう感じで人気を二分していました。

私は聖子派でしたね(笑)

今でも二人のヒット曲はほとんど歌えます。  

でも振り返ってみれば、松田聖子はスキャンダルを力に替えるだけの強さがあったけど、中森明菜は弱かったのかなっていう感じでしょうか。

そしてまず、松田聖子の結婚と出産が、アイドル人気の流れを変えたようです。

さらに聖子、明菜のスキャンダルで、人気アイドルは下の世代へと移り変わっていきました。  

 

特におニャン子クラブの勢いはすごかったですね。

今のAKBの前身ような感じでしたね。

普通の高校生から次々とアイドルが生まれていきました。

 

80年代の人気男性アイドルは?

なぜか当時の私は男性のアイドルにあまり興味が無く、女性のアイドルの方が好きでした。

ファッションやメイクの参考にするだけでなく、彼女らの生み出していく流行にいつも興味を持っていましたね。

ちょうど年齢的に同世代だったからかも知れませんが、「男性アイドルなんてガキっぽい!」とか思っていました(笑)

私の周りもそんな感じだったように思いますね。

 

でも80年代は男性アイドルも大人気でした。

金八先生”から人気になった、たのきんトリオこと田原俊彦近藤真彦野村義男

“仙八先生”から、シブがき隊こと薬丸裕英、布川敏和、本木雅弘

スクールウォーズ”の松村雄基。

太陽にほえろ”の渡辺徹

沖田浩之風見慎吾、吉川晃司…。

 

そして忘れてはならないのが、藤井フミヤがボーカルを務めたチェッカーズ

デビュー当時から、とびぬけて上手かった記憶がありますね。

当時としてはちょっと奇抜な髪型やファッションも話題でした。

 

ジャニーズからは少年隊、光GENJI男闘呼組

 

ただ80年代のアイドルは10代20代がほとんどでした。

今のように30代40代でアイドルというのは、タレントとしては中途半端なようにも思います。

演技も歌もダンスも本職にはかなわないかも?

 

それにしても80年アイドルについて私がすごいと思うのは、そのほとんどが今も現役で活躍していることですね!

同世代としてとても励みになります。

これからも体に気をつけて頑張っていってほしいものです。

 

関連記事 

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

 

 

 

80年代 私の下宿生活の3つの不思議な出来事!

80年代の半ばから4年間住んでいた下宿はお風呂もない女子専用のアパートでした。

楽しいこともたくさんありましたが、しんどいことも同じくらいありましたね。

どれもみんなかけがえのない経験です。

 

f:id:yuluttoKyoto:20200723152154j:plain

下宿に住んだ理由  

マンションに住む学生が増えつつある中、私はプライバシーがあるようでない下宿に住み続けました。

もちろん、「お金がかかるから」ということも理由の一つでした。

マンションの礼金、敷金に加え、引っ越し代を含めるとけっこうな出費でしたから。  

 

でも私が同じ下宿に住み続けたのは、人と関わることが好きだったからだと思います。

同じ大学の人たちと一つ屋根の下に暮らすという『安心感』や、会えばあいさつを交わし時には話もする『人とのコミュニケーション』こそが、私にとってとても大切だったのかも知れません。  

もちろん、人と関わることは心地いいことばかりではありません。

気も使うし、時には嫌な思いもします。

でもそれらを全て差し引いても、ある余るほどのステキな体験ができたと思っています。

 

下宿生活の3つの不思議な出来事!

廊下や台所で会えば、いつも長~い立ち話で盛り上がっていた私たち同学年の4人。

その4人が、顔を合わすたびに不思議がっていた出来事がいくつかありました。 

 

不思議1  

私の下宿は女性専用のアパートで、2階建ての建物に女性ばかり12人が常時暮らしていました。

よくあることかも知れませんが、下着泥棒がよく出たようです。

私は幸い被害にあったことはなかったのですが、すごく気持ち悪かったですね。

洗濯物は、物干し台と各部屋の窓に取り付けてあった物干しざおに干していました。

やっぱり乾燥機は強い味方でしたね!

 

それより私が気になっていたのは、玄関に取り付けられた『男性入室禁止』の札です。

これはかえって『女子しかいないよ』という、宣伝になっていたのではないかと思えてならないのです(笑)

 

不思議2  

廊下の突き当りにクローゼットがあり、そこには誰かが買って読み終わった本や雑誌、漫画などをいれるようになっていました。

1年の終わり(3月)には使わなくなった教科書や辞書なども入れてあり、同じものを使う人にとってはありがたかったようです。

ファッション雑誌や月刊・週刊漫画は特に重宝で、みんなで順番に読んでいましたね。おかげで何種類も読むことができて、本当にいいシステムでした。    

 

でもある時からボーイズラブガールズラブの雑誌や漫画が入っていたのです。

これはちょっとした事件でしたね(笑)

誰だ誰だと騒ぎになりました(小声でしたが)

同じ下宿に同性愛の人がいたらちょっと…ですよね。

でもついに誰なのかわからずじまいでした。 

 

不思議3   

私が1回生の時のことです。

当時の4回生でテレビに出れそうなくらい綺麗な方がいました。

でもなぜかいつも留守で、週に1度くらいしか帰ってきませんでした。

しかも帰ってくるとずっと洗濯機と乾燥機を独り占めするんです。←迷惑です!

で、またどこかへ出かけてしまう。

電話の取次ぎとかも、いつも留守なのでドアがメモだらけでした。  

これもすごく話題の的(笑)

 

でもある日、見てしまったんです。

大きな荷物を抱えて、彼氏のバイクで颯爽と走っていく美しいお姉さんの姿を。

風の噂によると、卒業してすぐに結婚されたそうです!

 

 

関連記事

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

80年代 京都の大学生だった私の下宿生活

80年代の半ば、私は京都の大学に入学し初めて親元を離れて下宿生活を始めました。

4年間の独り暮らしのスタートです。

最初こそいろいろ不安でしたが、ゴールデンウイークあたりを境に大学にもだんだん慣れて落ち着き始めました。

f:id:yuluttoKyoto:20200730152853p:plain

下宿生活のルール

独り暮らしといっても私の下宿は1階と2階に12室ある女子専用のアパートで、1階に共用の台所と洗面所、トイレ、ランドリーがありました。

下宿人も同じ大学の人だけなので、マンションに比べるとかなり気楽で安心感がありましたね。

廊下や台所などの共用スペースで顔を合わせると、みんな笑顔で挨拶をしていました。

 

でも、ちょっとした気遣いも必要でした。

例えば、誰かが洗濯機を使っていたら終わりそうな頃を見計らって使うとか…。

これは台所も同じです。

また調理した後は生ゴミを捨てたり、台ふきで掃除してキレイにしておくとか。

当たり前のことですが…。

それでも、そういう気遣いができない人が何人かはいるものです。  

生活していくうちに、「いつも汚しっぱなしなのは誰か?」

だんだんわかってきたりしました(笑)  

 

私の下宿は大家さんが几帳面な方だったので、いつもキレイに掃除をしてくれて洗面所やトイレ、廊下などはいつもピカピカでした。

大家さんがいるというのは、何かと心強かったですね。

月に一度、学生が読み終わった新聞や雑誌を古紙回収に出して、もらったポケットティッシュを玄関のくつ箱の上に置いといてくれました。

大阪のおばちゃんのように、独りでたくさん貰っていくような人はいませんでしたね。

二十歳前後の女の子ばかりでしたからね(笑)

 

お料理は修行!?

私にとって一番大変だったのはお料理です。

家庭科もあんまり得意ではなかったし、家にいる時はお手伝い程度しかしてなかったのでとても不安でした。

独り暮らしを始める前に母から特訓を受けたのですが、やっぱり心配でしたね。

それと最初の月は仕送りからひと月の食費をどうやり繰りして買い物をしたらいいのか、全く見当がついてなかったように思います。  

朝食はコーヒーとトースト。

昼食はほとんど学食

yuluttokyoto.hatenablog.jp

そして夕食はまさに修行の場でしたね。

 

最初の頃作っていたのは、ハムエッグに生野菜とか野菜炒め程度でした。

でもだんだん慣れてきて、お味噌汁や肉じゃが、炒飯などが作れるようになりました。わからないことは母に電話で聞きながらでしたが…(笑)

でも必要に迫られると何とかできるようになるものですね。

この修行のおかげで、お料理が少し好きになりました。

 

狭くても私の城

下宿の部屋はどの部屋も大きめの押し入れと板の間がついていました。

板の間には冷蔵庫が備え付けてあり、横に置いたラックの上にトースターや炊飯器をのせていました。  

台所は調理台と流し台、ガスコンロ、12人分に仕切られた大きなラック(調味料やお米を入れる用)が置いてありました。

少し不便でしたが部屋から材料を持って行って台所で調理をし、出来たものを部屋に運んで食べていました。

今はやりのシェアハウスはリビングに置いた大きなテーブルで食事しているようですが、どちらがいいのでしょう?  

みんな部屋に、冬になるとこたつとして使えるテーブルを置いて、その上で食事も勉強もしていました。

 

和室で畳の上に布団を敷いて寝て朝になるとたたんで押し入れに仕舞うのですが、これはなかなか合理的だと思いましたね。

狭い部屋を広く使う日本人の知恵でしょうか?

私の狭い部屋に友達を2人泊めたことがありました!

 

唯一不便だったこと

下宿には全自動洗濯機が2台と乾燥機があり、とても便利でした。

一つだけ不便だったのはお風呂がなかったことです。

近くの銭湯に行っていましたが、夜出掛けるのはおっくうなものです。

銭湯は歩いて5分弱のところと10分くらいのところにありました。

近所とはいえ雨降りなど天候の悪い時は嫌でしたね。

特に冬場はつらかったです。髪の毛が凍りそうでしたから。    

この頃の京都は学生の数が多く、お風呂のない下宿がたくさんありました。

そしてまだたくさんの銭湯がありました。

どこの銭湯サウナジェットバスなどがあって、すぐに疲れが取れたので嫌いではありませんでしたね。

ただ、同じ下宿の人に会うと何か極まりが悪いというか気恥ずかしくて、そそくさと出てきていました(笑)

 

楽しかった下宿生活

3回生になる時に下宿の契約更新がありました。

私は一緒に入った同学年の3人と離れがたく、また引越しの面倒くささもあって4年間同じ下宿に住み続けました。

大学の友達の中にはマンションにかわった人もいましたが、結局4人とも卒業するまで同じ下宿でしたね。  

プライバシーがあるようでないような下宿でしたが、一つ屋根の下で暮らしているせいかお互いの心配をしあっていました。

風邪をひいて熱が出た時など、買い物に行ってもらったりお薬を貰ったりしたこともあります。

誰かの部屋に集まって夜中まで話し込んだりすることも多かったですね。  

 

その反面、窮屈なこともありました。

門限が11時に決まっていて、遅くなる日はホワイトボードに名前と理由を書いておかなければいけない規則でした。

また、どこかの部屋で大きな声で騒いだりするとかなり迷惑でしたね。  

また面白いことや、不思議なこと、焦ったことなど,いろいろなことがありました。

それについては次回に書きます。

 

下宿はなくなってしまうのか?

今はほとんどがマンションになり下宿は廃れつつあります。

私が住んでいた下宿がどうなっているか見に行ったことがありましたが、すでに廃業していました。

昔ながらの下宿が、プライバシーを大事にしたい今時の学生に人気がないというのはよくわかります。

私も今の時代に学生だったら、きっとマンションを選んでいたでしょう。  

 

でもシェアハウスなど、人と繋がれる住み方がまた人気なのも確かです。

特に自然災害が多発している今、何かあった時に一人では心配だという声もよく聞きます。  

私は、下宿の4年間で得たものはとても大きいと思っています。

「人と関わり、遠慮し合い気を使い合いながらも、相手を尊重し大切に思いやる」貴重な体験でした。

同じ下宿で4年間を共にした3人とは、卒業や引っ越し、就職のドタバタした中で別れてから一度も会っていません。

スマホのある今だったらなあと少し残念に思います。

 

関連記事

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

 

よろしければ願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

80年代、私の周りにいた「ツッパリたち」!

地方都市で育った私の周りにも、「ツッパリ」たちはたくさん存在していました。

特に中学校の時がヤバかったですね。

f:id:yuluttoKyoto:20200723152032p:plain

中学校時代の「ツッパリたち」

特に中学校時代は、喫煙・飲酒、万引き、バイクの無免許運転、シンナーなどで補導される生徒が多かったですね。

あと、夜中に出歩いたり…。眉毛をそったり、剃り込みを入れたり…。

特に制服をめぐっては先生とのバトルがありましたね(笑)

また尾崎豊の歌じゃないけど、教室の窓ガラスや備品、先生の車に悪さをする生徒もたくさんいて大変でした。

今思えば当時の先生たちは、本当にきつかっただろうと思います。

私の学校にも生徒に殴られた先生がいました。

また生徒とトラブって教師を辞めた先生もいましたね。

 

でも「ツッパリ」たちも、見た目はけっこうヤバい感じだったけど、小学校、なかには幼稚園から知っている生徒もいたので、何だか複雑でした。

どんなにいきがっても、お漏らししてたことや怖い話にビビっていた頃を知っているわけですから…(笑)

それに当時の「ツッパリたち」は、クラスの中にいても他の生徒に迷惑をかけたりすることはあまりなかったように思います。

ほとんどの「ツッパリたち」は勉強が苦手だったり、運動でも頑張って練習したりすることが苦手(?)でしたね。

根っからのワルではなかったけれど、いろんな意味で行き場のない自分を誇示するというか表現する方法が、「ツッパルこと」だったのでしょうか。

 

幼馴染が「ツッパリ」に仲間入り?

小学校からの幼馴染の女の子は中学校に入って勉強に全くついていけなくなり、「ツッパリ」の仲間に入ってしまいました。

家庭的にもいろいろあった彼女は髪も茶色にして眉も細く剃り、全く印象が変わってしまったのです。

でも学校の中で会うと、かわらず笑顔で話しかけてくれましたね。

外見に反して中身はあまり変わりませんでした。

私には今まで通りに接することしかできなかったけど、後で聞いたらそれが嬉しかったそうです。

彼女は中学校を卒業した後すぐに結婚したと風の噂で知りました。

「ツッパリ」たちのほとんどは卒業後、彼女のように結婚したりまじめに仕事についたりしたようです。

でも中には反社会的人生を歩んだ人もいると聞いています。

 

高校時代の「偽ツッパリたち」?

私の通っていた高校は進学校だったので、本物の「ツッパリ」はいませんでした。

駅前には今でいう「ヤンキー座り」でたむろしている「ツッパリたち」がいましたが、別の高校の生徒でしたね。

とはいえ、流行に敏感な高校生のこと。

わが校にも見せかけだけ(格好だけ)の「偽ツッパリたち」がたくさんいました。

問題行動といっても、喫煙か修学旅行での飲酒が見つかったくらいです。

十分問題ですが、今思えば何とも幼いというか、かわいい感じがします。(笑)

その「偽ツッパリたち」のほとんどは大学に進学しました。

中には教員警察官になった人もいますよ!

 

そして私が進学した大学ですが「ツッパリ」も「偽ツッパリ」も、当たり前ですが一人も見かけたことはありませんでした。

当時の「ツッパリ」の中心は十代でしたね。

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

 

『今日から俺は!!』を観たら80年代に流行った「ツッパリ」が懐かしい!

今日から俺は!』を観て 

80年代に「ツッパリ」は社会現象にまでなりました。

人気漫画でドラマ化や映画化された今日から俺は!!は80年代の「ツッパリ」を描いたものです。

かつて大ヒットした「ビー・バップ・ハイスクール」と似ていますが比べてみると、ずっとソフトでコミカルな印象を受けました。

長ラン、短ランににボンタンやドカンといわれる幅広ズボンは、今見ると漫画チックでコミカルですね(笑)

f:id:yuluttoKyoto:20200726153039p:plain

今日から俺は!劇場版』公式サイトより

80年代に流行った「ツッパリ」

70年代から80年代頃には「不良」のことを「ツッパリ」と呼ぶようになり社会現象にまでなりました。

今は「ヤンキー」っていう方がピンとくるかと思います。

確かに共通点はあるようですが「ツッパリ」と今の「ヤンキー」はちょっと違います。

  

80年代の「ツッパリ」は、主に中高生でした。

「荒れる学校」といわれたように、校内暴力の嵐が吹き荒れていました。

喧嘩や先生への反抗そして暴力です。

卒業式に警察に来てもらう学校もあったほどです。

そしてそれと並行して、世の中の流行にもその影響が現れました。

 

「ツッパリ」が流行に!

テレビドラマで人気だったのは「金八先生(第2シリーズ)」や「スクール☆ウォーズ」など。

映画では「ビー・バップ・ハイスクール」や「湘南爆走族」など。

そして「横浜銀蝿」などのツッパリソングもヒットしました。

 

「なめネコ」というとんでもないものまで流行りましたね(笑)。

学ランを着た猫の暴走族です。

子猫の無邪気な表情とのギャップもあって、大人気でした。

 

ツッパリソングではなかったけど尾崎豊の曲もヒットしました。

ご本人は残念ながら早世されていますが、曲は今でもよく流れています。

「盗んだバイクで走り出す~」「教室の窓ガラスたたいて~」「支配からの卒業」などといった歌詞が、当時の十代の心をとらえたようです。

学校の先生はあまり聴かせたくなかったみたいですが(笑)

 

「ツッパリ」の終焉 

学校や警察は校内暴力には手を焼いたようです。

その後の警察の取り締まりや学校の管理体制の強化で、だんだん学校現場は落ち着いていきました。

そして目に見える形では「ツッパリ」は姿を消していきました。

 

しかし、それにかわって社会問題になったのは「いじめ」です。

そしてこれは、今も答えの出ない難しい問題だと思います。

スマホの普及は、いじめの舞台を学校からネットの世界へとかえていきました。

陰湿ないじめのニュースを目にすると、かつての「ツッパリ」が何だか懐かしい気さえします。

 

何故でしょうか?

それは「ツッパリ」は仲間を大切にしたり、社会や大人の納得できない部分に対して反発していたからではないかと思いますね。

私の周りにも「ツッパリ」はたくさんいましたが、クラスの子をいじめたりすることはなかったし、けっこう“男気”がありました。

ただテレビや映画の様なカッコイイものではなかったように思います。

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

 

80年代の修学旅行 ~高校2年秋~

生徒数が多かった80年代の修学旅行は大人数の大移動

楽しかった高校2年の秋のことです。

f:id:yuluttoKyoto:20200722231808p:plain

生徒数の多かった80年代の修学旅行

都道府県によって行先は様々だったと思いますが、とにかく生徒の数が多かった80年代の学校。

遠足や特に修学旅行ともなると観光バスを何台も連ねての大移動でした。

 

学年全部の生徒が集合場所に集まるのも、クラス別に整列するのも大変でしたよね。

すごく場所をとるのでギュウギュウに詰めて並んでいました。

途中のトイレ休憩もまたしかりです。

誰が戻ってないかの点呼確認も、とても念入りだったように思います。

人数が多いから一人くらいいなくてもわからないので、先生が神経をとがらせていましたね(笑)

置いてきぼりになったら大問題ですから。

バスを降りてどこか見学するたびに、集合場所や集合時間をくり返し言われていたように思います。

前から順番に通し番号を言わされるんですが、何か年齢的に?ちょっと恥ずかしかったりして…。

よく声が小さいと叱られていましたね。

 

集合写真も各クラスが順番に入れ替わるので、とっても時間がかかりました。

一クラスに45人位いましたから、ひな壇に登ったり降りたりするだけで大変でした。 でも一番大変だったのは多分宿泊です!

 

当時の高校生の宿泊事情

修学旅行のお楽しみは何といっても宿泊ですよね!

普段は見れないクラスメート(異性)の素顔に、ワクワクドキドキでした。

みんなで大広間に集まって、一緒にご飯を食べるのも楽しかったですね。

そんなにおいしいものはなかったけど…(笑)

部屋割りは出席簿順に適当に決められていたように思います。

今の子たちは、好きなもの同士じゃないと泣き出したりするらしいですね。

私達の時代には考えられないです。

決められたことは、そういうものなんだと納得してた気がします。

 

同じ班の人たちとお風呂に行くのも、ちょっとした大騒ぎでしたね。

他人と大浴場に入る経験は修学旅行くらいのものですから。

最初はやっぱり恥ずかしくてタオルでガードしてましたね。

でもだんだん慣れてきて、そんなに仲良くしてなかった人とも一気に打ち解ける感じでした。

脱衣所では「髪の毛が濡れてるのに男子に会ったらどうしよう」みたいな話をしてたように思います。

部屋では、お決まりの恋バナ、恋バナ、恋バナ…(笑)

ずいぶん遅くまで起きて盛り上がっていたものです。

 

修学旅行で問題行動

夜通し、先生方は見回りで大変だったようです。

男子が女子の部屋へ入らないように、それと旅館を抜け出さないように。

中学校の修学旅行の時は、男子が女子の部屋に入り込んで先生に見つかり大目玉でしたが、さすがに高校ではそれはなかったようですね。

でも近くの高校では修学旅行後に女子の妊娠発覚があって、それこそ大問題になったと聞いています。

80年代はちょっとヤバい高校生たちがたくさんいた時代でした。

一方、ウチの高校の男子の部屋では、飲酒が見つかって大説教&反省会が始まったそうです。

 

今思うこと

私達の時代と違い携帯で何でもすぐに調べられて、連絡もすぐ取れる今の修学旅行生。

便利でいいなぁとも思いますが、何だかせわしなくて縛られているようにも思えます。

また、学校によっては海外研修も増えましたよね。

お金もかかるのでしょうが、いろんな経験ができてすごいなぁと羨ましくも感じます。

 

80年代は携帯もなく不便でしたが、特に困ったことはなかったように思いますね。

そんなに豪華でもなかったけれど、私にとっては本当に楽しい修学旅行でした。

忘れられない思い出です。

 

コロナの影響で

京都は毎年のように修学旅行生でいっぱいでした。

でも今年はコロナウイルスの影響で全く目にしていません。

早く終息するかワクチンが開発されて、修学旅行ができる日が来ることを心より願っています。

修学旅行に限らず「かけがえのない学校生活を健やかに送ることが出来ますように」と祈らずにはいられません。

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

80年代の京都の大学で人気のサークル活動とは?

学生の数が多かった80年代の大学キャンパス 。 サークル活動も盛んでした。

学内には大学公認のサークルや同好会のほか、非公認の同好会がたくさんありました。

またいろいろな大学の学生たちで作ったサークルもあり、おそらく大学も把握し切れてなかったのではないかと思います。

f:id:yuluttoKyoto:20200722160034p:plain

活発だったサークル活動  

この頃人気のあったスポーツといえば、やはりテニススキーです。

ただし雪のある時期しか活動できないスキーに比べて一年中活動できるテニスは特に人気が高く、どこの大学にもたくさんの同好会がありました。

クリス・エバートナブラチロワトレーシー・オースチンシュテフィ・グラフなどの人気選手がたくさん活躍していて、選手ブランドのテニスウェアも人気でした。

共学の大学のテニスサークルや同好会は女子大の子たちがたくさん入っていたので、結構な人数が集まっていたようです。  

 

どこの大学にも体育会系のサークルはたくさんありました。

野球から陸上、柔道、合気道、重量挙げなどなど。本当に熱心に練習していました。

野球でドラフトで指名される人や、スカウトされてプロになる人もいて、本気でやる人たちは体育会系、そこまででもない人たちは同好会という感じだったと思います。

同好会にもいろいろなスポーツがありました。

例えば「プロレス同好会」とか、まだ日本では珍しく聞いたことのないようなスポーツの同好会もありましたね。

 

学術系のサークルや研究会もたくさんありました。

こちらは、本当に真面目に勉強しようという学生が集まっていたようです。

偏差値の高い大学や学部ほど活発に活動していたように思います。  

 

また京都の大学には神社仏閣や史跡、観光スポットなどを巡るようなサークルも多かったようです。

こういったサークルは今も京都の大学には多いようです。  

 

大学公認の体育会系や学術系のサークル、同好会には、大学からの補助があったようですが、サークル活動には結構お金がかかりました。

非公認は言うまでもありませんが、サークルによってもいろいろだったと思います。

活動もそうですが、コンパや合宿の費用が結構かかりましたね。

必死でバイトしてた理由の一つですね!

 

私の入っていたテニス同好会

私は、テニスの同好会に入っていました。

女子大の子たちも入っていていつも賑やかでした。

学外のテニスコートを借りて練習をしていましたね。

派手なイメージを持たれがちでしたが、結構真面目に練習していました。

私は中学の時は軟式テニスをしていたので、大学で硬式を始めたばかりの頃はボールがすごくよく飛ぶのでびっくりしたのを覚えています。

女子大の子たちは、気配りができて世話好きで感心することが多かったですね。  

 

私の入っていた同好会では、コンパは新歓、前期打ち上げ、クリスマス、後期打ち上げ、追い出しなど、年に何回かありました。

パブやディスコ、当時流行ったカフェバーみたいなところを貸し切ってやってました。 一番驚いたのは、酔った時の女子大の子たちです。

とにかく男子に絡む、すり寄る、甘える、ベタベタする!

「そうか、このサークルに入ったホントの理由ってそういうことか!」と、変に納得したのを覚えています(笑)

大学に男子がいないとそうなるのかと思って見ていましたね。

反対に共学の大学では男子の数が圧倒的に多くて、私は息苦しくさえ感じていましたから…。  

 

夏合宿の思い出

夏合宿は、だいたい長野県あたりの高原で一週間くらいでした。

貸し切りバスで夜出発して早朝に着く感じです。

4人部屋で、毎晩遅くまで同じ部屋の子たちとワイワイしてました。

ほぼ恋バナです。

食堂に行くのもお風呂に行くのも4人一緒!

女子の付き合いは今も昔も、いろいろ大変なんです。  

それでも夏合宿は本当に楽しくて、今思うとまさに『青春』っていう感じですね(笑)

 

午前中に練習があって、基礎練習のほか女子ペアでラリーをしたり、男女混合のチームに分かれて試合をしたりしました。

洋楽や山下達郎なんかの音楽を流しながらする練習は、けっこうハードだったにもかかわらず楽しかったのであっという間に時間が過ぎました。

ただ高原とはいえ風は冷たいものの夏はやはり暑かったですね 

テニスコートまでの送迎はペンションのバスでしたが、みんなテンションが高くてバスの中は和気あいあいとしていましたね。  

京都の別の大学のテニスサークルと一緒になる日もありました。

コートのフェンスに大学やサークルの横断幕をつけて練習していたので、どこの大学のサークルかすぐにわかったのです。  

練習が終わると、ペンションに戻ってシャワーを浴び昼食をとりました。

 

午後からは自由時間で、散歩したりサイクリングに行ったり、それぞれのチームで買い物に行きウェアやバンダナをそろえたりしました。 

晩はバーベキューや花火、肝試しなど、毎日のようにイベントがありましたね。

 

練習は合宿中は毎日ありましたが、一日だけお休みがあってみんなで近くの池へ出かけました。

水泳をしたりボートに乗ったりして楽しく過ごしたのを覚えています。  

 

一週間は瞬く間に過ぎ、帰る前の晩に打ち上げがありました。

女子大の子たちの本領発揮の場です。

みんなものすごく頑張っていました(笑)  

そして次の日の朝、ペンションの前でみんなで写真を撮り京都へと帰ってきたのでした。

この時撮った写真が、コロナ自粛中の荷物整理で何十年ぶりかで出てきました。 

当時にタイムスリップしたようで、本当に懐かしい気持ちになりましたね。

 

それにしても、若かったとはいえすごい体力ですよね。

今だったらこんな日程、絶対に無理です(笑)

みんな元気にしているでしょうか。  

 

80年代のサークル活動は、人数が多いこともあってとにかく派手で活発でした。

 

 

関連記事 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ 

80年代 活気があった京都の大学の授業風景

80年代の大学キャンパスは、とにかくどこも学生数が多くて活気にあふれていました。

高校時代の友達の通っていた大学も、みんな同じような感じでしたね。

f:id:yuluttoKyoto:20200717115356j:plain

大講義室

春4月、授業がスタートすると広い大講義室は学生でいっぱいでした。

最初、先生がマイクを使って話すのが驚きでしたね。

また、高校時代まで『プリント』と言っていたものが、いきなり『レジュメ』という言い方に代わったのも新鮮でした。

今では考えられないことですが教室の外に灰皿が置いてあり、ベンチに座って学生がプカプカ煙草をふかしていました。

1回生はほぼ20歳未満だよ(怒)

 

学生は、五月の連休明けくらいから少しづつ減り始めました。

大講義室は後ろの席から順に座っていくので、後ろはいっぱいで前のほう空いていました。多分そこはいつの時代も同じです。

出席を取る先生の時は最悪でした。

みんなサボる時は友達に頼むから、出席を取る意味なんてホントはなかったと思うんですが…(笑)

出席表に学籍番号と名前を書くだけならいいのですが、何人分も代返を頼まれて声優ばりに声を変えて返事している人もいましたね。

みんなが笑ってるのに先生が気づいてないのがまた可笑しくて、笑いをこらえるのに必死でした。

もしかしたら、先生は気づいていても気づいていないふりをしていたのかもしれませんね。

 

小講義室

小さい教室でする語学やゼミなどの授業は、そういう訳にもいかないのでみんな真剣だったようです。

小テストがあったり、あてられたりするので大変でした。

何回まで休めるとか数えていましたね。

1/3までは休めたと思います。けっこう緩いですよね(笑)

それでも、出席が足りなくて留年するクラスメートも、必ず何人かはいました。

 

そういえば語学の教科書の訳本が学外のお店で売られていました。

雑で汚い手書きのコピー本でしたが、結構役に立ってくれてありがたかったです。

ルール違反なんですが、私のまわりではみんな持ってましたね…(笑)

もちろん私も!

 

80年代の授業風景

もちろん大講義室の授業に限ってですが、退屈な授業の時は友達と話したりする声があちこちでしていました。

ただし面白い授業は静かでしたね。

当時の学生はバイトしてたり遊んでいたりして、大学に来ない人も結構多かったように思います。

だから基本的に、授業に出ているのは、真面目に勉強しようという学生でした。

ザワザワしている授業とシーンとしている授業ははっきり分かれていましたが、不真面目な学生はそもそも大学には来ていなかったのです。

 

それから先生によっては、授業の終わりに感想やまとめを書かせていました。

こちらの方が、いい加減な(笑)出席表よりよっぽど効果的だったのではないかと思います。

 

授業態度の変化

京都の大学に勤めている友人に聞いた話ですが、今の学生は「とにかく出席」だそうです。

前期とか後期の半期で2単位を取れる「セメスタ」がほとんどで、出席数が成績に含まれるからということのようです。

でもその結果、大学に通ってくる学生は多くても、「私語が多くザワザワしていてやりにくい」と感じている先生も多いとか…。

また、寝ていたりスマホをさわっている学生も多いそうです。

 

私たちが学生だった頃も、ルーズリーフの切れ端にメモとか書いて回したりしていましたよね。

授業を抜けて遊びに行ったことも何度もありました。

良くないことなのに、なぜかそういうことほど懐かしく覚えているから不思議です。

 

大学時代はいろいろなものに興味を持つ年齢。

特にバブル時代の大学生は、見るもの聞くもの全てを吸収しようとするエネルギーがすごく大きかったように思います。

親や大学側も“遊びやバイトも勉強のうち”くらいのおおらかさがあり、細かいことをゴチャゴチャ言いませんでした。

 

政治的なことや社会を変えようみたいなこともほとんどなく、学生の売り手市場で就職の心配もあまりしなくていい、平和で穏やかでそして面白い時代だったと思います。

 

 

 関連記事

yuluttokyoto.hatenablog.jp

 

 

よろしければお願いします!

にほんブログ村 


人気ブログランキングへ