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小津安二郎監督作品を観て感じたこと

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 小津安二郎監督作品、「晩春」「麦秋」「東京物語」を観た。どの作品も原節子が主演で全て紀子という女性を演じている。紀子三部作と呼ばれている作品だ。

 実は何年か前に「東京物語」を少しだけ観たことがある。その時はモノクロであまりにも悠長な物語のペースに飽きてしまって、途中で観るのをやめてしまった。以前から、世界的にも評価の高かったこの作品を観てみたいと思っていたのに…。冒頭の老夫婦の会話や動きがあまりにもゆっくりで、何となく観ようという興味を無くしてしまったのだ。今から思うと“ありえな〜い”なんだけど!

だから今回は、絶対に三作とも観てやろうと心に決めた。

まずは公開が古い順に観ることにした。

 

 1949年の「晩春」は、鎌倉で暮らす父と娘の紀子の物語。戦争中に体を壊したため、未婚でいる娘の結婚をめぐるあれこれを描いている。当時の常識では30歳手前の娘の結婚は晩婚になるらしい。今の感覚からすればずいぶん失礼な話だけど。「晩春」とは、そういうことを意味しているようだ。

 

 

 1951年の麦秋も、鎌倉で暮らす一家の物語。両親と息子夫婦と子供たち、そして娘の紀子の三世帯家族。次男は戦死している。この作品も中心となるのは、娘の結婚の話とそれにまつわる人間模様だ。「麦秋」の意味は、初夏に麦が金色に実った刈り取り前の様子だそうだ。家族7人が暮らしていた日常が「麦秋」。その後に稲が刈り取られるように、紀子の結婚から家族はバラバラになる。家族として暮らしている時間は、実は限りがある。楽しげなホームドラマの中にも、家族の移り変わりや老いることの寂しさを描いた深みのある作品だった。

 

 

 1953年東京物語は、尾道で暮らす老夫婦が東京で暮らしている子供たちを訪ねるところからスタートする。長男は開業医、長女は美容院を経営している。2人とも忙しくて両親の相手ができないので、戦死した次男の嫁の紀子に東京を案内してもらう。両親は独立してそれぞれ忙しくしている子供たちに寂しさを感じながらも、紀子に感謝して満足して尾道に帰って行くという物語。「東京物語」は、親と子についてだけでなく、老いることや死について考えさせられる作品だった。

 

 

 小津安二郎監督は小津調と言われる撮影スタイルでも知られている。ほとんどが固定したカメラでのローポジションの撮影とか、人や小道具の配置の仕方などだ。当時はそれが独特で斬新だったそうだ。技術的なことについては、後でそう言われれば確かにそう思う。でも今となっては技術的なことより、いろいろと感じるところのある作品だと思う。

 三作すべてを見終わった率直な感想としては、価値観(特に結婚観)も家族関係も生活スタイルも時代と共に変わっていくということ。以前にはフツーだとされていたことが、時代によっては怒りの対象だったりハラスメントだったりもする。でもどんな時代であれ「老い」や「死」、「親子の情」「結婚」、そしてそれに伴う「家族の変化」は今に通じる変わらないテーマではないかと思う。中でも「東京物語」は観終わった後に何とも言えない気持ちになった。

 また小津安二郎作品、とりわけ紀子三部作と言われる作品には共通点がある。

一つはチームと言えるくらい同じ俳優を使っているところ。特に笠智衆原節子の関係が面白い。「晩春」では父と娘。「麦秋」では兄妹。「東京物語」では舅と亡くなった息子の嫁。笠智衆はいろんな年齢を演じ分けていて、本当にすばらしい俳優だと改めて思った。

それから、どの作品にも戦争の影が見られること。そして日本の文化や風景、家屋などを丁寧に描き込んでいるところ。

 初めて小津監督作品を観た時は、こんなに味わい深い作品だということに気づく前に観るのをやめてしまった。確かにタイパ重視の世の中では、こういう作品に慣れていなかったら最初のところを観ただけで飽きてしまうのも仕方がないのかも。

でもどんな時代でも変わらない人間の営みを、ゆっくりじっくり味わうことができて良かったと思う。観終わった後に、深い余韻が残るすばらしい作品だった。

 

 

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