ここは嵐山の渡月橋や竹林のずっと奥。清滝へ向かうトンネルの手前に位置します。
古来から信仰されている愛宕神社の参道で、愛宕山への登山道の入り口です。
一の鳥居と平野屋
古くから信仰の対象となっている愛宕山。
山頂の愛宕神社は、全国にある愛宕神社の総本社で、火伏・防火の神様として知られています。
火事にならないようにという信仰です。
また、明智光秀は本能寺の変の直前に、ここで愛宕百韻として有名な連歌会を催しました。
その発句(一番最初に光秀が詠んだ)は、
“ときは今 あめが下しる 五月かな”
「織田信長を討って天下を取る」という決意を詠んだとも言われています。
本当のところはどうだったのか?今でも歴史の謎ですね。
その愛宕神社への登山道の起点となるのが、嵯峨鳥居本の「一の鳥居」です。
一説によると、五山の送り火の「鳥居形」は「一の鳥居」に由来しているそうです。
その一の鳥居の下に佇んでいるのが、CMやガイドブックによく登場する平野屋です。
ずっと前に松たか子さんが出られていた、車のCMで使われていました。
平野屋は愛宕神社の参道の茶店として、四百年の長い歴史があるそうです。
愛宕神社に参拝するためには愛宕山に登らなければならないわけですから、確かに休憩する所が必要ですね 。
現在の平野屋は外観は茶店という感じですが、鮎料理などのお料理屋さんです。
もちろん、昔ながらの名物“志んこ団子”を頂くことができるそうですよ。
昔から愛宕神社に詣でる人たちは、こうして一の鳥居を後にして歩いて行ったのでしょう。
愛宕山はかなり標高が高く、登るのは容易ではなかったと思います。
でも 江戸時代には、「お伊勢七たび、熊野へ三たび、愛宕さんへは月詣り」と謡われたそうですから、かなりの信仰を集めていたということでしょうね。
愛宕念仏寺の千二百羅漢
奈良時代に東山に建立されましたが、幾度もの荒廃をくり返し、1922年にこの地に移築されたそうです。しかし復興に失敗。
前住職の西村公朝氏は荒れ果てていたお寺を興隆させるため、1981年素人の手による「昭和の羅漢彫り」を始め、十年の歳月をかけて千二百体の羅漢が完成したそうです。
そのご尽力のおかげで、このユニークで愛らしい羅漢さんたちを目にすることができるのですね。
嵐山の中心からかなり外れた場所にあるためか、観光客はいつも少なめのようです。
でも、嵐電の嵐山駅前のバス停から清滝行きの京都バスに乗れば、案外すぐに着きますよ。ただ、道の混み具合でかかる時間は全然違ってきます。
「愛宕寺前」というバス停はお寺のの真ん前なのですが、バスの本数が少ないので少々不便かもしれませんね。
苔むした千二百体もの羅漢。
一体一体がとてもユーモラスで癒されます。
一般の参拝者によって作られたので、同じものは一つもないそうです。
米俵を抱えていたり、お酒を飲んでいたり、食べ物を持っていたり…。
見ているうちに、とても愉快な気持ちになってきます。
どの羅漢さんも、お顔の表情が明るく楽しそうですね。
もしかしたら、家族や知人にそっくりな羅漢さんを見つけることができるかもしれませんよ。
真冬の愛宕念仏寺は観光客もまばらで少し寂しげな印象ですが、千二百体の羅漢さんは圧巻でした。
そして帰るころには、羅漢さんの楽しそうな笑顔にすっかり癒され、こちらまで楽しい気持ちになりました。
奥嵯峨の穴場スポットともいえる愛宕念仏寺、ぜひ一度訪れてみて下さい。
羅漢さんたちが笑顔で、おもてなしをしてくださいますよ。
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