ロシアがウクライナへ侵攻してから一年が過ぎた。毎日のように、ウクライナの街が破壊されていく映像や傷ついた市民のインタビューが流れている。でもどこか映画のようでもあり実感がわかない。
私たちにとってウクライナは地理的には確かに遠い国だ。電気やガスが値上がりしたり物価が上がったり生活レベルでしか実感がないのは仕方がないが、自分に関係がないからと無関心でいていいのだろうか。こうしている間にもたくさんの人たちが殺されている。でも出口が見える状況にはなさそうだ。
世界は政治のみならず文化でも経済でもグローバルにつながっている。せめて「平和」について考えてみたい。
平和って何だろう?
どうすれば平和が保てるのだろう?と。
私が「平和」について考える時、必ず思い出す詩がある。谷川俊太郎氏の『朝のリレー』だ。
『朝のリレー 』
カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウィンクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
谷川俊太郎「朝のリレー」より
今、この詩の意味を噛みしめたい。そしてもう一度、平和について考えてみようと思う。
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