日大と関学のアメフト部の定期戦で、日大の選手が関学の選手へ悪質なタックルをした問題が取り沙汰されています。
レスリングや相撲に続き、またしてもスポーツ界の不祥事です。
犯罪や不祥事はどの業界や職業でもありますが、スポーツ界で不祥事が多いのはどうしてなのでしょうか。
一流アスリートの育成
頂点を目指し切磋琢磨して練習に励む選手たち。
子供の頃からの英才教育や、親元を離れての生活や留学は珍しいことではありません。素質や才能を見出されれば国の強化選手になることも。
たくさんの監督やコーチ、先輩などに囲まれた練習や生活は相当厳しいことでしょう。
多くのアスリートは、学校(高校・大学など)や企業、団体に所属していて、そこで育てられています。
育成する側には、まず「アスリートである前に一人の人間を育てる」という自覚や責任が必要ではないでしょうか?
人としての倫理観、道徳観、責任感。それらはアスリートとしての技術や精神を鍛えるのと同様に大切なものだと思います。
社会的にみて、まだまだ未熟な選手を預かるのなら、関わるすべての大人がもっと自覚や責任をもって指導する必要があるのでは?
「アスリートとして一流」ならば、「人としても一流」であるべきだと思います。
そしてそれは指導者も同じだと思いますが、どうでしょうか?
一流のアスリートを育てるのは、一流の指導者です。
不祥事が起こる度に隠ぺいや責任逃れが起こるのは、育成し指導する立場の人間あるいは組織が一流ではない証なのかも知れませんね。
スポーツ教育について
日本の体育教育(授業や部活動など)を考えてみると、まず小学校・中学校時代から個人的にみて、これでいいのかと思うことばかりでした。
教員が教えるのは、競技のルールと技術ばかり。
また、「勝つことがすべて」とする指導のあり方に、いつも疑問を持ってきました。「勝者」があれば「敗者」があるという、当たり前のことを教わった記憶は残念ながらありません。
そういう教育の下では、スポーツの得意な子は不得意な子をバカにしたりいじめたりしがちです。
また、負けたチームでは、失敗した子が責められるのです。
でも肝心の先生からのフォローがあったためしはありませんでしたね。
部活動での体罰やいじめ、行き過ぎた指導も根本は同じではないかと思います。
もちろん、勝つことは大事です。
でも「敗者をたたえること」や「試合が終わった後はお互いをねぎらう」ことが、スポーツの精神だと思うのですが、そういう教育はほとんどされてこなかったのではないでしょうか。
「勝てばいい」「強ければいい」「勝つためには何をしてもいい」という教育は、本物のスポーツ教育ではないと私は思うのですが…。
アスリートに望むこと
そもそもほとんどのスポーツにはスポンサーがついています。
優勝すれば多額の賞金が得られ、アスリートとして勝てば勝つほど、一流になるほど大金が絡む世界ですよね。(←うらやましい!)
一流になれば収入のみならず、知名度も人気も上がります。
多くの人やお金が集まれば、それをねらう誘惑もあるでしょう。
だからこそ、自分に打ち勝つことができる強い精神力を身につけるべきです。
また、弱者をいたわる心や敗者へのねぎらい、勝者へのリスペクト、周りへの感謝を忘れてはいけないのだと思います。
多くの子供たちがその背中を見ています。
アスリートは、子供たちがあこがれ「あんな選手になりたい」と思わせるような存在であってほしいと心から願っています。
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